光性の想念・・・感慨深く 迎える「秋分」に 改めて三位一体とは?・・を 再度!!
- 2015/09/23
- 03:08
ボディ(体)マインド(心身) そして スピリット(生まれて来るときに与えられた魂)
これらが 三位一体・・ 3=神の数字(トリニティ)
いつぞやか?
インスパイアされた 達磨大師の 「石の上にも三年」や
「三日坊主」等
3のサイクルに 深くコミットして 自身や事象を俯瞰する リズムに
3のサイクルを 取り入れたのは???
アーシング(ボディ)&サンゲージング(マインド) そして 禅定(スピリット)
三位一体のワークを 再度 開眼基点の春分から
総括の「秋分」の今日 改めて・・・
これらが 三位一体・・ 3=神の数字(トリニティ)
いつぞやか?
インスパイアされた 達磨大師の 「石の上にも三年」や
「三日坊主」等
3のサイクルに 深くコミットして 自身や事象を俯瞰する リズムに
3のサイクルを 取り入れたのは???
アーシング(ボディ)&サンゲージング(マインド) そして 禅定(スピリット)
三位一体のワークを 再度 開眼基点の春分から
総括の「秋分」の今日 改めて・・・
身体なくしては 体感する事は出来ない
それは 「生きる事」も 「考える事」も 不可能・・
何故なら 体感器官を 持ち合わせていない状態故
高い意識を持つ 光明者達は
苦行を経て・・と あるが 実は 苦行の空虚さ
「これだけ苦行すれば」・・との 小さな 欲望を 手放した時に
ボディとマインドを 司る 源・・ これは 神と擬人化するより
神や奇跡の概念を捻する前から 存在する 「臨在」と 繫がり・・ 光を得ている
けれど この繫がりを 体感し 認知できるのも
身体(心身)あって故
多くの書物を 読み漁り
「氣」が向くもの全てを 調べ 思惟しての 先の「静」の季節
その後 いきなり始まった「動」の季節が とても激しく 長く続いて行く中
「心」の 低位さ・・を 何度も 体感させれた
これは 他者から 植え付けられる 「真理」とは 随分遠い
「これをすれば 良くなる」
「これは 駄目」・・の 様な? チープ過ぎて・・ けれど 過去何度も
頭で 「分かったつもり」として インプットされてきた 諸々・・を 汗と共に
全て 大地に還した
概念は 過去創出の総体
体験を伴っていないのに? マインドと言う 低位な心は 「楽を求めて」
「自己なんて?見つめて何になるの?皆は見ないじゃん」 等々
諸事全てを 体感させてくれる 「心身」への 敬意も
労わりも 感謝も目を向けることなく
超・資本社会の中で 労働(金の為に我慢)~本当に必要ではないものの購入(消費)を
繰り返してくれる 奴隷に 成り下がって・・ これを 有意義な人生?と 暗示に掛けられ続け
悲しい一生は 唯物的に 果てる
人生とは?を 問い 思惟する前に
それを 行ってくれる 未知にて 奇跡の総体である 心身に 目を向けていくのが
実は 最大 そして 最深の近道
何故なら 自己対話 ~ 自己変容を経る事 即ち
体感する 全て・・に 意識が向けられていくように なる・・・
先の春分で 多くのビジョンを受け取り終え
「愛=信頼」 そして 「愛=真理」を 流してきた 汗や
年齢的には 超・オーバーサイズな 肉体労働を ほぼ無休にて 終えた 先週以降
この秋分に向けて 再度 自身とっての 三位一体の意味
これらから 得られた体感や 気付きの波動を 最大限 意識を共有する人々に
感じさせられないように 伝播を・・・
本日は 古の古代文明は
とても 大切にしてきた 春分~秋分の 1サイクル完了日
読者様
心身と言う 奇跡的な 存在と 語り合ってますか?
必ず 応えてくれますよ!!
敬愛合掌
それは 「生きる事」も 「考える事」も 不可能・・
何故なら 体感器官を 持ち合わせていない状態故
高い意識を持つ 光明者達は
苦行を経て・・と あるが 実は 苦行の空虚さ
「これだけ苦行すれば」・・との 小さな 欲望を 手放した時に
ボディとマインドを 司る 源・・ これは 神と擬人化するより
神や奇跡の概念を捻する前から 存在する 「臨在」と 繫がり・・ 光を得ている
けれど この繫がりを 体感し 認知できるのも
身体(心身)あって故
多くの書物を 読み漁り
「氣」が向くもの全てを 調べ 思惟しての 先の「静」の季節
その後 いきなり始まった「動」の季節が とても激しく 長く続いて行く中
「心」の 低位さ・・を 何度も 体感させれた
これは 他者から 植え付けられる 「真理」とは 随分遠い
「これをすれば 良くなる」
「これは 駄目」・・の 様な? チープ過ぎて・・ けれど 過去何度も
頭で 「分かったつもり」として インプットされてきた 諸々・・を 汗と共に
全て 大地に還した
概念は 過去創出の総体
体験を伴っていないのに? マインドと言う 低位な心は 「楽を求めて」
「自己なんて?見つめて何になるの?皆は見ないじゃん」 等々
諸事全てを 体感させてくれる 「心身」への 敬意も
労わりも 感謝も目を向けることなく
超・資本社会の中で 労働(金の為に我慢)~本当に必要ではないものの購入(消費)を
繰り返してくれる 奴隷に 成り下がって・・ これを 有意義な人生?と 暗示に掛けられ続け
悲しい一生は 唯物的に 果てる
人生とは?を 問い 思惟する前に
それを 行ってくれる 未知にて 奇跡の総体である 心身に 目を向けていくのが
実は 最大 そして 最深の近道
何故なら 自己対話 ~ 自己変容を経る事 即ち
体感する 全て・・に 意識が向けられていくように なる・・・
先の春分で 多くのビジョンを受け取り終え
「愛=信頼」 そして 「愛=真理」を 流してきた 汗や
年齢的には 超・オーバーサイズな 肉体労働を ほぼ無休にて 終えた 先週以降
この秋分に向けて 再度 自身とっての 三位一体の意味
これらから 得られた体感や 気付きの波動を 最大限 意識を共有する人々に
感じさせられないように 伝播を・・・
本日は 古の古代文明は
とても 大切にしてきた 春分~秋分の 1サイクル完了日
読者様
心身と言う 奇跡的な 存在と 語り合ってますか?
必ず 応えてくれますよ!!
敬愛合掌
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- テーマ:スピリチュアル
- ジャンル:心と身体
- カテゴリ:光性の想念
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